独特の節回しで聴衆を魅了してきた「播州音頭」も、多くの伝統芸能が抱えている継承者の高齢化等と後継者の減少という問題に直面しています。
加東文化振興財団では、地域における芸能文化を保存し、後世に伝えていくため、2023年、東条播州音頭踊り保存会、社播州音頭踊り保存会と協力し、「播州音頭(踊り)」のアーカイブ事業に取り組んで参りました。その成果を、このページにおいてご紹介して参ります。
播州音頭は、兵庫県の主に播磨地方で歌われる民謡、民俗芸能で、その起源は、江戸時代(文久年間 1861~1864年)頃より、美嚢郡吉川町で唄われていた「吉川音頭」であるとされ、声の拡散防止のため、台の上に傘をさしかけ、その上に乗って音頭を取り、周りを踊り手たちが輪になって踊ったものが今の播州音頭の起源とされている。
明治28年頃には、吉川音頭から派生した東条節、山田節が盛んになり、30年代の頃、小野市天神町の岩崎鶴松(千鶴)、同山田町の岡田小兵衛(別品)、岡田佐衛門(流光)の3人が中心となり、新工夫を加え、唄い始めた。
(『播州音頭通信』Vol.1より)
本来、播州音頭踊りは「音頭取り」と呼ばれる唄い手二人と太鼓打ち一人の三人がやぐらの上で唄い、その周りを多くの踊り手が囲んで、夜通し行われるものだった。太鼓打ちの囃子にのって、音頭取り二人が互いの技術を競い合いながら、節回しや音程、声の長短を即興的に変化させて、掛け合いで唄い、演目の物語を歌い継ぐ様は、現代のラップバトルのようだともに言われている。
また、その周りを舞う踊り手は音頭を鼓舞するように舞われ、音頭と踊りが相乗効果を生みながら盛り上がっていく。そんな音頭は、娯楽の少ない時代の男女の出会いの場にもなっており、まだ男女が明け透けに会話できない時代の貴重なコミュニケーションの場だったという。音頭が途切れてしまわないように、音頭取りは組を交代しながら踊り手と共に夜通し音頭を取り続けた。
(『播州音頭通信』Vol.より)
責任編集・発行:東条播州音頭踊り保存会、社播州音頭踊り保存会、京極WORKS
協力:伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス
令和4年度伝統芸能文化復元・活性化共同プログラム「社・東条を中心とした播州音頭踊りの継承と発信プロジェクト」
●動画
播州音頭踊りアーカイブに関する加東文化振興財団 主催・協力事業
●音源収録
2023年
1/14 『瞼(まぶた)の母』 東条播州音頭踊り保存会 [音頭:西村美鶴 音頭・太鼓:邦近宏鶴]
2/28 『神崎与五郎東下り』 社播州音頭踊り保存会 [音頭:中原公雀 音頭・太鼓:小西小雀]
2/28 『天野屋利兵衛』 社播州音頭踊り保存会 [音頭:中原公雀 音頭・太鼓:小西小雀]
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●公演事業
2023年
5/21 [播州音頭踊りワークショップ] 音頭と踊りを体験してみよう! (共催事業)
8/20 [播州音頭踊り大会] 加東市やしろ国際学習塾L.O.C.ホール (主催事業)
出演:東条播州音頭踊り保存会 社播州音頭踊り保存会
吉川音頭踊り保存会 三木吉川音頭保存会 加西市播州音頭踊り保存会
プログラム